髪を切るために訪れた美容室で、温かい昼ご飯が出てきたら――。
そんな少し不思議な美容室が、韓国の小さな町にある。
場所は韓国・忠清北道(チュンチョンブクド)の農村地域、沃川(オクチョン)。
人口約5万人の静かな町の路地裏に、その店はひっそりと佇んでいる。

小さな看板には「PAPA美容室」と書かれている。
しかし、この店を地元の人は店名で呼ばない。
「PAPA美容室?」
そう尋ねると、多くの人がこう答える。
「それなら、あの“ご飯を出す美容室”ね。」
この美容室では、来店した高齢者に無料で昼食が振る舞われる。
しかも、それは37年間、一日も欠かさず続いている。
朝5時から始まる美容師の一日
この美容室を37年間守り続けてきたのが、美容師の朴淑子(パク・スクジャ)さん(70歳)だ。
彼女の一日は朝5時に始まる。
まずは昼食の準備。家の冷蔵庫からキムチをタッバーに入れ、自宅の近くの畑で野菜を収穫して店へ向かう。
店に着くとご飯を炊き、キムチチゲを作り、おかずを整える。
午前9時、店を開ける。
それから夕方6時まで、ほとんど座る時間もなく働き続ける。
休みは月に3日ほどだけ。
それ以外の日は、料理を作りながら美容の仕事をこなし、高齢者たちと会話を交わしながら一日を過ごす。
この美容室には予約制度がない。来た順番で対応する。
そのため待ち時間は平均2時間。パーマの場合は3〜4時間かかることも珍しくない。

それでも誰も文句を言わない。
むしろ、この時間を楽しみにしているので。
「ご飯を食べていきなさい」
朴さんが昼食を出すようになったきっかけは、美容室を始めたばかりの頃だった。
パーマをかけるお客さんは、遠くから朝早く出発して来ることも多い。順番を待つうちに昼になり、お腹が空く。
そんな様子を見て、彼女はこう声をかけた。
「ご飯を食べていきなさい。」

それが、この美容室の始まりだった。
以来37年間、この店では毎日、昼食が振る舞われている。
料金はもちろん無料だ。
筆者が訪れた日には、手作りのネギキムチと太い素麺が食卓に並んでいた。
湯気の立つ料理を囲みながら、おばあちゃんたちの笑い声が店いっぱいに広がる。
「おばあちゃんたちのアジト」
この美容室を訪れる客の多くは、80代以上の女性たちだ。
取材の日も、小さな店の中には8人ほどの高齢女性が座って順番を待っていた。
89歳の女性はこう言う。
「ここは美容室じゃないよ。
私たちのおしゃべりの場所。おばあちゃんたちのアジトだね。」

店の中では、畑の話、村の話、孫の話があちこちで交わされる。
まるで雀がさえずるような賑やかさだ。
しかし、この騒がしさこそがこの店の魅力でもある。
ここに来れば、誰かがいる。誰かと話ができる。
それが何より大切なのだ。
「ここで食べるご飯は蜂蜜みたい」
80歳の女性は笑いながらこう言った。
「家では一人で食べるから、ご飯がおいしくないの。
でもここで食べるご飯は蜂蜜みたいにおいしい。」
一人暮らしの高齢者にとって、食事は単なる栄養補給ではない。
誰かと食べる食事は、人生の楽しみそのものになる。
この美容室は、そんな時間を生み出している。

美容室は地域の「小さな市場」
この店では、少し不思議な光景も見られる。
畑で採れた落花生を持ってきて、みんなに配る人。
唐辛子や豆、ニンニクを持ってきて「売っておいて」と頼む人。
朴さんはそれらを店で販売し、次に来たときに売上を渡す。
美容室はいつしか、小さな地域市場の役割も担うようになった。

ある日、高齢女性がコチュジャンを作り、それを美容室に置いて帰った。
そして息子の嫁に電話する。
「パパ美容室にコチュジャンを置いたよ。」
仕事が終わった嫁が夜に取りに来る。
この美容室は、地域の宅配センターのような役割も果たしている。
驚くほど安い料金
この美容室の料金は驚くほど安い。
カット:6,000ウォン(約630円)
パーマ:20,000ウォン(約2,100円)
カラー:15,000ウォン(約1,580円)
しかも昼食は無料だ。
日本の美容室と比べれば信じられない価格だろう。それでも店は37年間続いている。
苦労の人生
朴さんの人生は決して楽ではなかった。
義母を10年間自宅で介護し、数年前に看取った。
夫は30代から重い関節炎で働けず、さらに大腸がんと肝臓がんを患っている。
彼女は9年間、看病を続けてきた。それでも美容室を開け続ける。
長時間立ち続けるため、静脈瘤の薬を飲みながら働いている。
「80歳までは働きたいですね。」

そう言って彼女は穏やかに笑った。
美容がつくるコミュニティ

いま日本でも、高齢者の孤立は深刻な社会問題になりつつある。
美容室は、髪を整える場所であると同時に、人が集まる場所でもある。
美容を通じて、人と人がつながる。
韓国の小さな町にある美容室は、その可能性を示している。
美容は、人を孤独から救う
朴さんは特別な理念を語るわけではない。ただこう言う。
「お客様が来てくれて、一緒にご飯を食べて、
笑って帰ってくれれば、それでいい。」
美容は、外見を整えるだけではない。人と人をつなぎ、孤独をほどく力を持っている。
韓国の小さな町にある「ご飯を出す美容室」。
そこには、 高齢社会の未来を照らす小さな答えがあった。
